■ワレイマダ...
『木鶏会』というのがありますから、今度一緒に行ってみませんか?
取引先の方と仕事の余談で相撲の雑談をしていたら、誘われた。
相撲と木鶏と言えば、古い話で恐縮だが、昭和の名横綱双葉山関に連なる。
そのはるか昔、古来中国では闘鶏が流行っていた。
強い鶏を争って育成していたみたいで、それが度を越したのか、木で作った
鶏まで登場したみたいだ。育成された鶏と木の鶏の対決は意外な結果になる。
木で作った鶏、つまり木鶏は相当強かった。
というか、本物の鶏からすると感情がなく、微動だしない堂々とした相手が
一番嫌だったみたいだ。
育成された本物の鶏は争うことなく、木鶏の前に出ると逃げ出した。
よって、小手先の技を磨くより、木鶏のごとく冷静沈着とした感があり
精神性を重視した方が勝利につながるのではと思われた時代となった。
昭和に戻り、横綱双葉山は連勝街道をひた走る。まさに木鶏、無敵だった。
連勝は前人未到の69勝に届く前から、双葉山はその木鶏の勝ち方を
既に意識していたと言われた。
相手の力士も土俵に上がった瞬間、双葉山が木鶏のようにも見えたはずだ。
完成しつつある充実した肉体、精神、感情までもが統一され、一分の隙も
ない仕草や表情に相手の力士は軒並み恐れをなし、土俵に転がった。
しかし、その木鶏、双葉山がついに70連勝を懸けた土俵で敗れた。
その夜、双葉山は海外へ向けて出港していた恩師に向けて電報を打った。
『ワレイマダモッケイニナリエズ』
私はついに、木鶏のようには(無敵のように強く)なれなかった...
電報を受け取った船上の恩師はそれで双葉山の連勝が止まった事を悟った。
当時、大横綱が敗れてなお『我未だ...』と発信した事で、徐々に世間の
共感を呼び、マスコミは狂ったようにその経緯を一斉に報じ始めた
そして今の木鶏会とは、故双葉山関の後援会ではない。
自分自身を戒めながら、例え仕事で壁にぶち当たり多少の失敗をしたとしても、
再び前に歩き出す時の糧として応用する趣旨の会、という事で驚いた。
一つの道を極めた人間の発言は余りにも重く、後世に引き継がれた。