■夜のロマンスカー
夜、仕事を終えて、戸田から新宿へ向かうことは既に決まっていた。
新宿からは初めて乗る事になるロマンスカーで、深夜の箱根に向かうのだ。
まだ若い頃、新宿発のロマンスカーには特別な憧れを持っていた時があった。
恋人と同乗して芦ノ湖に行ってみたい。 確か、淡い願望を持った時もあった。
しかし今宵、初めて乗ることになるロマンスカーは、ひとりぼっちなのだ。
昔の淡い記憶とは裏腹に、箱根で待っているのは年老いた両親と口の濃い
実姉がいるという現実の設定に目覚め、思わずホーム上で苦笑いしてしまった。
その数カ月前、口のうるさい姉から...
『 両親が老いたから、行ける内に箱根に連れて行きたい!』
『 全ての費用はきっちり、あんたと折半だから!!』
姉のゴリ押しに、親孝行もした事がなかった自分は押し切られた格好になった。
台風一過、夜のロマンスカーは予想以上に空いていた。
物事を考えるには十分な静けさを保ち、住宅街をすり抜けるように西へ向かう。
不思議だった...
町田を過ぎた辺りから、走馬灯のように記憶が甦る。
ひとりぼんやりと夜の車窓を眺めていたら、幼い頃の両親の顔を思い出した。
今の自分よりも、はるかに若い頃の母の姿が脳裏に浮かんだ。
翌日、芦ノ湖の上空は、この世とあの世の境界線がないことを示すような
今までに見たこともない、澄み切った青空が天空にまで広がったように見えた。
今はもう、同じシチュエーションで箱根に行けなくなってしまったが
同時にロマンスカーへのわだかまりも潰えた事になった。
古人曰く、わだかまりや執着は一つでも多く捨て去る方がよろしい、と。
あの時の空が虚空だったことに気付くにも、時間を要してしまった。