2015-12-04
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小江戸「川越」
先日 仕事で「 川越 」に行く機会があり、
初めて 「 時の鐘 」を目にすることが出来ました。
以前から気になってたので調べました。
何故、「 小江戸 」と呼ばれているのか。
江戸時代には親藩・譜代の川越藩の城下町として栄えた都市。
文化財の数では、関東地区で神奈川県鎌倉、栃木県日光に次で多い。
「平安時代に河越館に豪族の河越氏が興り、武蔵国筆頭の御家人
として鎌倉幕府で権勢を誇った」のが始まりとされているみたいです。
その後、室町時代に上杉氏の家宰・太田道灌によって
「 河越城 」が築城された。
戦国時代には、関東平野の覇権を決する
河越夜戦の舞台になったこともでも有名(日本三大夜戦)。
狭山丘陵(川越藩領)で河越茶(狭山茶)は高林謙三が開発した
「高林式製茶機械」により狭山茶が繁盛した。
武蔵野の開墾地ではサツマイモの栽培が盛んとなり
赤沢仁兵が考案した「赤沢式甘藷栽培法」により
収穫量が劇的に増加し、それが「焼き芋」として江戸に出回り
「川越芋」呼ばれ、「栗よりうまい十三里」というフレーズと
味の良さで持て囃され、「イモの町」のジメージも定着したようです。
今年も残り少なくなりました、今年の整理、来年の準備と
せわしない毎日が続きますが、お体ご自愛ください。